2015年1月10日土曜日

石黒浩「どうすれば「人」を創れるか アンドロイドになった私」、新潮文庫

人そっくりのアンドロイドを作って話題になっている石黒先生の著書。いままで断片的にしかしらなかった、彼自身を含む一連のアンドロイドの制作動機、作ってみての感想や他人の反応、そのもともとの人の感想、また、経年変化でアンドロイドと本人との乖離についての考察など、大変興味深い話が盛りだくさんである。
アンドロイドを使って遠隔から人と対話したりする話は非常に興味深い。平均的な人が美しく見え、つまり、美人とは個性のない姿だという話はかなりショッキングな話であった。

誰から見ても美人というのは厳然として存在する。単なる流行りではない(流行り的な美人もあるが)。美人というのは、物理的な身体から来るものであると今まで思っていた。動作の機能に優れ、不都合がなくて成長した四肢、そうしたものをすべて併せ持つのが美人であると思っていた。

石黒先生の本に書かれているように、平均顔だから誰でもそう感じるというのは初めて聞く説だが、なるほどと、納得できる。美人論というのは面白そうだ。

2015年1月7日水曜日

江上剛「50歳からの教養力」、ベスト新書

著者は、もと銀行員で、脱サラをし、49歳で作家になった人である。
第1部は「知力」。作家として必要な知力をどのようにして蓄えたか、書かれている。
第2部は「体力」。もともとメタボで走ることなど思いもよらなかった著者がフルマラソンをすることになった経緯が書かれている。
第3部は「胆力」。このあたり、まさにご自分の経験談である。
第4部は「ユーモア力」。
第5部は「取捨選択力」。
要するに、著者の教養がどのようにあるかを示した本と言える。かなりの自信家でもあると思われる。

2015年1月5日月曜日

森政弘「ロボット考学と人間 -未来のためのロボット工学-」、Ohmsha

森政弘氏といえば、ロボットの先生。それも、理論ではなく、ロボコンを始めた、実践の先生としてよく知られています。ロボットと言えば、機械の話か、知能の話が語られることが多いですが、一般に、ロボットにまつわる知能の話には、底の浅い話が多いように感じられます(そればかりとは言いませんが)。しかし、森先生は仏教に結びついた、哲学的な考察をこの本でなされています。

自分の手で、それこそロボットを作ってきた著者だからこその、自然と人間から学ぶ(ロボットの設計思想)という第1章、仏教に造詣が深い著者だからこそできる(ロボットから考える、人間というもの)、ロボットの哲学の第2章、第3章はさらに哲学的なロボットの世界(ロボット独自の発展を考察する)、第4章は、善悪を見極めながらロボットとの共生に関して、設計への警告(幸せとは何か)、第5章はロボコンに学ぶ(「技道」の哲学)、第6章は、著者の本領発揮とも言える、ロボット工学者へ(創造的な研究のために)という章立てです。

私の研究室では、ロボットを擬人化して、感情を表現する研究を行っています。単に、技術だけ考えるのではなく、一見、無意味にも思えるこうした研究が意味をもつのかどうか、もつとしたらどういうことなのか、少し現実から離れて哲学的思考をすることが必要です。

2015年1月4日日曜日

本田幸夫「ロボット革命 -なぜグーグルとアマゾンが投資するのか-」、祥伝社

日本のロボット技術は、スタートはいいけども、それからあとの成長戦略がなく、結局、アメリカなどに大きく水をあけられているということがよくわかる。
著者は、大工大の先生なのだが、日本電装や松下電器産業を経ての現職で、さらに、現在もアルボットという会社の代表取締役なので、現実の状況に詳しい。
日本でロボットの開発をしようとすると、いろいろな法律が邪魔をして、本当に実験室でしか試すことができない。ごく一部、たとえば、つくばなどで特区を作ってはいるが、それとて大きな制約。それに比べて、アメリカのなんと自由なことか。日本で自動運転車など、アメリカに勝てるはずがないということがこの本を読むとよくわかる。

否定的な論調で統一されている本ではないが、この本を読むと、なにか、残念な気持ちばかりが湧いてきた。