キーン氏はアメリカ人だったが,戦前から日本のことが好きで,戦時中は通訳として日本や日本人とのつながりを持っていた.日本の近代文学に名を連ねる多くの文学者との交流があって,京都とニューヨークを行き来する生活が長く続いた.
彼は,日本語が好き,日本人が好きなのである.決して,無理をして好きになったわけではない.
自分の人生を振り返ってみると,私の人生を左右してきたのは明らかに幸運であって,長い熟慮の末の決断ではなかった.(p.344)これが本音である.若い頃,日本語と中国語の選択を余儀なくされたときもあったが,結局,彼は日本(語)を選んで前に進んだことが幸運だったと言っていると思われる.
今年で89歳になるキーン氏には,穏やかな余生を送っていただきたい.
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