2017年7月30日日曜日

AIが人間を殺す日 -車,医療,兵器に組み込まれる人工知能- 小林雅一,集英社新書

最近、人工知能の話題を見ない日がないくらい、脚光を浴びている人工知能である。たまに、ディープラーニングという言葉を知らないという人に出会うが、新聞、テレビ、雑誌などでこのキーワードを避けて暮らすのはかなり難しいと思うのだが、そういう人は、目で見たものが思考回路に回らずに、スルーしているのだろうか。あるいは、まったく自分に関係がないものとして、無意識に無視しているのか、いずれかだろう。今どきの学生であれば、絶対に無視できないキーワードである。


さて、本書について話を進めよう。AIを不安なものと思っている人には、ますます不安が高まるようなタイトルが与えられている。少し最近の話題をかじった人なら、AIが人の知能を超えて暴走するというシンギュラリティの話かなと思うに違いないが、この本の帯に書かれている通り、著者のいう恐怖は、それではなく、人が制御ループから外れることによる危険性である。人工知能が将来完全なものとして存在するのかどうかわからないが、少なくとも、今の段階で、人の知能が不要というところに至っていない。

まず、AIの種類として、ルールベース、確率モデル(隠れマルコフモデル、カルマンフィルタなど)、ニューラルネット・ディープラーニングが挙げられているが、人の介在が必要な理由として、確率モデルに基づくAIにおける、正規分布よりも例外が多い、ファットテールの存在が挙げられている。

医療に関しては、ルールベースのAIであるワトソンや、最近では、ディープラーニングも取り入れられていることが結構詳しく紹介されている。ここでは、最終診断ではなく、AIは、あくまでも補助・情報提供をするというスタンスであるが、危険性よりも、その効果の大きさがPRされている。

軍事利用については、アメリカの軍事予算が日本の大学で使われることの是非の話なども含まれている。

このように、必ずしもAIの否定的側面ばかりを捉えている本ではなく、むしろ、これらの分野におけるAIの状況を知るために読んでも役に立つ本であると思われる。

2016年8月9日火曜日

ジョン・マルコフ著、瀧口範子訳「人工知能は敵か味方か」、日経BP社

 著者は、社会学を専攻したニューヨークタイムズ科学部門の記者である。著者も訳者もシリコンバレーに本拠地を置く。気楽な気持ちで本書を購入し、読み始めたが、その分量といい、内容といい、気楽な気持ちのままで読破するには荷が重すぎた。なにしろ、新書よりも少し大きい四六判だ
が450ページある。よく欧米人が分厚い本を電車やカフェで読んでいるが、あのイメージである。

目次は、次のようになっている。

  1. 人間とマシンの間、
  2. 砂漠を駆け抜ける-自動運転車の誕生と成長、
  3. 人類には不利な競争、
  4. AIの栄枯盛衰、そして復活、
  5. 倫理をめぐる研究者たちの闘争-NASAからスタンフォードまで、
  6. 有利なパーソナル・アシスタント、
  7. グーグルのロボット参入、
  8. ジョブズのワン・ラスト・シング(最後にもうひとつ)、
  9. 主人、奴隷、それともパートナー?
である。この本のタイトルは、最終章において問いかけられている。 

 最近、AIブームに乗り、人工知能やディープラーニングなどの本が多数出版されている。私も、あまりにチラシみたいな本と逆に数式ばかりの本を除き、見つけたら買うことにしている。それぞれ特徴があるが、本書は、記者の著者らしく、ほとんど内容的には自分が取材して情報を集めたものとなっており、とにかく詳しい。人工知能の授業でおそらく習っただろうと思われるダートマス会議のメンバーやそれぞれの主張、組織などが出てくるが、まるでそこの中を自分が見に行って確認したような感覚に捕らわれる。私個人的には、SLAMのスランとモンテマーロの話が面白かった。移動ロボットの世界では、知らない人がないと思われるこれらの人物の人となりや経歴など、なかなか知ることができないものだ。
 本書では、AIとIAが対比させてある。本書は、技術的な本ではなく、人工知能の歴史が、物語風に書かれたものである。人工知能について人に語ろうと思えば、この本の内容を理解していけば、かなりのところまで行ける。私自身、この本は何度も読み返して勉強したいと思ったし、来年度のパターン認識の授業に活かしたいと思った。   

川村元気著「理系に学ぶ」、ダイヤモンド社


 悪人、告白、寄生獣、進撃の巨人、モテキ、青天の霹靂、電車男などの映画プロデューサーであり、作家である典型的文系著者が、理系で今をときめく数々の著名人との対談をした内容が書かれている。

 対談相手は、養老孟司(解剖学者/作家/昆虫研究家)、川上量生(カドカワ代表取締役社長/ドワンゴ代表取締役会長)、佐藤雅彦(東京藝術大学大学院映像研究科教授)、宮本茂(任天堂専務取締役クリエイティブフェロー)、真鍋大度(メディアアーティスト)、松尾豊(東京大学大学院准教授人工知能研究者)、出雲充(ユーグレナ代表取締役社長)、天野篤(順天堂大学心臓血管外科教授)、高橋智隆(ロボットクリエイター)、西内啓(統計家)、舛田淳(LINE取締役CSMO)、中村勇吾(インターフェースデザイナー)、若田光一(JAXA宇宙飛行士)、村山斉(理論物理学者)、伊藤穣一(マサチューセッツ工科大学メディアラボ所長)である。

 これら、全く違う分野ではあるが、すべて理系の人との対談を読み進めてみると、自分がやったことが着実に積み上げられる理系の仕事というのが共通して垣間見える。それらは、ほぼ文系の人にはできないことばかり。

 養老孟司といえば、「バカの壁」を代表とする多くの大ヒットの書物の著者であり、ニコニコ動画を生み、カドカワの社長になった川上氏、バザールでござーるなどの傑作CMを作り出した佐藤氏、スーパーマリオやゼルダの伝説などをゲームプロデューサー宮本氏、LINE取締役舛田氏、MITメディアラボ所長の伊藤氏など、この記事を読んでいる諸君の中も、ここに挙げた人の中に何人か聞いたことがあるだろうし、皆さんが漠然と目標としている人もあるかもしれない。

 理系で情報系の皆さん、是非、こういう本を読んでほしい。理系で学んでいることがいかに可能性を秘めたことであるか、認識して自信を持ってほしい。ビルゲイツ、スティーブジョブズ、ラリーペイジ、皆理系人間である。そして、取り敢えず現状は無視して、思い切って自分の将来の夢をこういう人の話を参考にして描いてみてほしい。そのとき、君たちの将来像へ向かった歩みが始まる。 

2016年4月5日火曜日

坂村健著「IoTとは何か  技術革新から社会革新へ」、角川新書

ひと昔前ならユビキタス、その前ならTRONで有名だった、東大の坂村健教授の新刊である。IoTとは、Internet of Thingsの略であることはよく知られているが、坂村氏の考えるIoTというものが、単に、ものをネットワーク化するというだけでなく、IPアドレスのように、ucodeという個別のコードを充てるというものであることを知った。坂村氏のTRONおよびユビキタスは、すべてIoTに密接につながっていることから、IoTの30年来の研究者と自称する。

坂村氏は、日本の産業社会の特質を「ギャランティ志向」と特徴づける。動くことが保障されなければ製品にできないというギャランティ志向の日本型ビジネスモデルが、「閉じたIoT」には良くても、「オープンなIoT」には向かないという点が災いしている。これは、インターネットもベストエフォートで動くものであって、それをベースにしているIoTでもスピートで勝てないと彼は危惧している。IoTは、汎用のucodeをベースにしている点が、今までの商品のように、自社の製品だけで通じるコードとは異なり、どこの製品であろうが、それが読めて、それに関する情報が得られることを目指している。そのように、日本にとってなかなか推進が困難なIoTではあるが、IoTが食品の生産から販売までのトレース機能であったり、旅客機のメンテナンス履歴であったりと、そういうものが、IoTにより容易になることのメリットは大きい。

IoTが、いろいろなものに革新的な変化をもたらすことは想像に難くない。しかし、昔できた法律に書かれていないことは「ダメ」というのがルールの日本と、書かれていないことはOKというのが欧米のルールでは、新しいことの導入の困難さが違う。坂村氏は、社会的改革の提唱を、技術を伴いながら行っており、偉大な真の科学者であると思った。なかなか難しい本ではあるが、将来の情報の専門家を目指す人には一読を勧める。

2016年3月6日日曜日

佐藤智恵「ハーバードでいちばん人気の国・日本」、PHP新書

まず著者の略歴から。東大教養学部卒業後、NHK入局。2001年アメリカコロンビア大学MBA取得。12年、コンサルタントとして独立ということらしい。才媛である。
アメリカの大学の先生にも直接アタックして、多くを取材して書かれた本である。この本の中心に据えられているのは、JR東日本テクノハートTESSEIのことである。
テッセイは新幹線の清掃業務を請け負っている会社であり、ハーバード大学経営大学院のイーサン・バーンスタイン助教授がテッセイを訪問・取材し、感銘を受けたことが、本書の発端である。JR東日本では、7分間ですべてのトイレ掃除と全車両の掃除を終わらせる。これが、まるで劇場のようだと、Shinkansen Clearning Theatreとして紹介された。私も、JR東海や西日本の車両で、同様の掃除を見ることがたびたびあるが、おそらく同じようにすばらしいに違いない。清掃をしている従業員たちは、その仕事に素晴らしい誇りとやりがいをもって行っている。この点が、ハーバードの先生の目に留まって、教材になって紹介されたのである。
私も、ヨーロッパに住んでいたことがあるので、あちらでの清掃などの仕事がどんな雰囲気で行われているのかは大体見当がつく。決して多くの人から評価されることもなく、階層社会の底辺で、生活のために仕方なくやるということ以外に、彼らから学べるものはあるようには思われない。したがって、日本の新幹線の清掃業務を、マニュアルを作って彼らに命じても、「できません」で終わることが目に見えるようである。
こうしたことは、形は違っても、日本の様々なことにみられる。トヨタの「カイゼン」もあげられている。そこには、リーダーの謙虚さが根底にあるとしている。人を働かせるには賃金を上げればよいという、単純な労働と賃金の関係だけでは説明できない労使関係がある。
歴史、政治・経済、戦略・マーケティング、リーダーシップの視点からも、日本のすごさが紹介されている。終章では、いま、日本人があまりアグレシブでない理由として、快適すぎる国になっている点を挙げている。高齢化社会は、チャンスととらえている。若者と女性の能力は、眠ったままだと言っている。
全体的に、非常に褒めちぎっており、本当にそうなのかと思うところも多々あるが、あまり悲観的になるなと我々に言っている点は、ハッとする部分が多い。もっと肯定的に。楽観的に。私も、そういう風に考えて生きていきたいと思った。

栄陽子著、「ハーバード大学はどんな学生を望んでいるのか?-日本人が抱くおおいなる誤解」、ワニブックスPLUS新書

私はアメリカの大学に詳しくないが、世界大学ランキングでダントツの一位であり、世界中から多くの留学生を引きつけているハーバード大学がどんな大学なのか知りたくて、この本を手に取ってみた。著者は、留学のサポートの仕事に就き、その手腕には定評のあるようだ。

日本の大学と違う点は多々ある。まず、入学方法。アドミッションオフィス(AO)が合否を決める。AO入試と聞くと、日本にもあるじゃないかと思うが、実は日本のAO入試はAOになっていない。ハーバードの入試は、アドミッションオフィスという部署があり、そこに受験生を評価する専門家がいて、願書の中にある様々な資料を総合評価して合否を決めるというものである。受験生が提出する願書には、宗教や人種、使える言語などを問うロフィール、親の学歴・職業、兄弟姉妹の詳細、高校でのGPAなどを問う教育歴、ACT、SAT、TOEFLなどのテスト結果、課外活動、エッセイ等である。エッセイは、随筆というより日本でいう小論文に近いものだが、そこでは、代筆などをすればすぐに見破ってしまう専門家が待ち構えている。この内容を見て驚かない日本人は少ないだろう。本人およびそれを取り巻く人々がすべて評価対象となる。面接もあって、遠隔地の場合には依頼された人がカフェなどで雑談をするらしい。「スポーツ万能、成績抜群、生徒会会長を務め、ピアノはショパンを弾き、絵を描けば人の心を魅了する、美しい英語のスピーチは聴衆を惹きつけ、世界の環境問題や自国のあり方にも一家言を持つような高校生が求められる」(本書81ページより引用)。また、親がハーバード出身の場合の合格率は明らかに高い。人を評価するための方法として、何とすごい方法だと思うとともに、日本では決して許されない方法が堂々ととられていることへのショックは大きい。同時に、日本入試制度での、重箱の隅をつつく、いや、顕微鏡で細菌を見つけようとするような、ちまちまとした受験との違いに驚いた。

全寮制で、入れば猛勉強をさせられる。年間納付金は食費を含めて6万ドル(約700万円)。もちろん、それが払えるお金持ちの子息がいることが前提だが、7割の学生は奨学金をもらう。奨学金の申請書には、両親の年収のみならず、納付税額、両親の投資額、借金残高、不動産保有額、年間の家計における光熱費や食費の詳細など、本人及び両親の洗いざらいを申告しなければならない。

そうやって入り、勉強した学生たちは、卒業後、半年から1年程度を掛けながら、就職していくが、一流企業に入ることを目標としていない人がほとんどで、日本のように、3年生の頃から就職活動で授業を休んだりすることは考えられず、大学で、自分の能力を高めることを最大限追求するのがハーバード流のようである。就職についても、一生勤める気など最初からない。学生時代に作り上げた自分の能力を武器に、それから何十年やっていく自信がついている。

学生諸君がこの本を読んだら、私とは違う感想を持つかもしれない。大学の価値は何なのか、自分は学生時代にどのような時間を過ごすべきなのか、是非考えてみてほしい。



2015年12月6日日曜日

池上彰、佐藤優「大世界史 現代を生きぬく最強の教科書」、文春新書

グローバル化が盛んに叫ばれている。つまり、世界標準、大学の英語化である。世界のどこに行っても英語でのコミュニケーションが十分できないと、取り残されてしまうという感覚が席巻していて、ほぼ日本人だけの学会、日本人だけの授業でさえ、英語でやろうという話が、日本人の中で比較的英語が得意の人々の中で盛り上がり、そういう場ができあがってしまっている。
私の知っている「国際会議」のいくつかも、ほぼ日本人だけで外国で「国際会議」を開き、日本人だけのディスカッションを英語でやっている。そこで議論をやっているのは、ほんの一握りの外国人だけで(たいていは英語はできるが、中身がない者が多い)、日本人は、貝のように口をつぐんでいるか、めちゃくちゃの英語を得意げにしゃべり、自己陶酔しているだけである。そこには、「国際会議
」という名に値する議論の場は全くない。

「学会」が、オール英語化のせいで、日本人の多くから理解と議論を奪っている。そこには、「英語でないと学会ではない」、「英語で議論できるようにせよ」という押しつけがまかり通っている。多くの学会で会員数の減少が問題になっているが、ひとつは、行ってもよくわからないという問題があるのではないだろうか。英語を訓練する場に化している学会に、若い人が入会する価値を見いださないのは、当然と言うべきであって、中身がしっかり議論できることがまず第一だろう。

前置きが長くなったが、この本でも、こういう問題が取り上げられている。

いまの大学は、どこもグローバル基準に合わせることに汲々としています。
ギリシャ・ラテン古典学のある先生の話が特に印象的でした。この先生は国立大から早稲田大学に移ったところ英語の勉強が大変だとおっしゃっていました。4コマのうち、1コマは英語で授業しなければならないからです。そこで、「英語で伝えた場合、日本語で伝える場合の何割くらい伝えられますか」と尋ねると、「3割くらい」と。では「学生の理解は日本語の時の何割か」と尋ねると、「2割くらい」と言います。3割×2割で6%、つまり、日本語の授業に比べて6%しか伝われない講義をして、それをグローバリゼーションといっている。(p.226)
つまり、しゃべる方は3割、聞く方は2割というのだ。これは、私が想定する割合と合致する。それを、グローバル化と称して、両方を10割に近づけるよう、いや、10割に行かなくても、2割でも3割でも、それをすべきだというのが今のグローバル化の言い分であるが、学問の中身はそこまで軽いのであろうか。学問分野にもよるだろうが、日本語でも、言い回しを間違えると違う意味になってしまうことが多々あるが、英語になると、「何の話をしているのかわかれば、よしとする」というレベルになってしまいかねない。今の複雑な社会や学問を考えたとき、理解が不十分にならざるを得ないものの提供は十分でないことは明らかである。
理解が容易な言語=日本語を使って、多くの日本人学生を理解させるということの方がずっと重要なのではないだろうか。英語が不十分な者にとっての英語でのディスカッションの学会は、中身を大部分あきらめざるを得ないという状況があることが、あまり理解されていない。もちろん、英語での議論がしっかりでき、国際的な場での日本人の存在を主張すべき人材の育成は必要であるが、それは、一部の学会に任せよう。IEEEなどの学会で、日本人がもっと活躍すればいいのではないか。
 いま、オール日本語の学会が非常に活況を呈しているのは、現実路線を行く学会である。そこでの議論はレベルが高い。というか、参加者の満足度は高そうである。一部の学生の訓練のためにに94%を捨ててはならないと思う。

学会と大学の授業は違うが、そこにある問題は似ている。

2015年11月22日日曜日

松田卓也著, 2045年問題 コンピュータが人類を超える日, 廣済堂新書

 著者は1943年生まれで、現在72歳くらいの宇宙物理学者であり、もともと情報の専門家というわけではない。しかし、コンピュータは長年駆使してきており、過去から現在(おそらく未来についても)、コンピュータについて非常に的確にポイントをとらえ、その上で2045年問題を論じている。
 

 全部で7章から成っている。「1章」コンピュータが人間を超える日、「2章」スーパー・コンピュータの実力、「3章」インターフェイスの最先端、「4章」人工知能開発の最前線、「5章」コンピュータと人類の未来、「6章」コンピュータが仕事を奪う、「人工知能開発の真意」となっている。

 1章は、クイズ問題を解くワトソンの実力ぶりからスタートし、「コンピュータの行く末を人間が予測できなくなる時点」を「技術的特異点」という科学的用語で定義している。これが2045年に訪れるというのが本書の主題である。この点を指摘している研究者カーツワイルの「収穫加速の原則」、つまり、ムーアの法則により技術的特異点が訪れるという説の紹介があるが、その前に、有名な映画である「2001年宇宙の旅」、「攻殻機動隊」、「ターミネータ」、「マトリックス」を具体的に取り上げ、未来の想像される世界を我々に提示している。著者はその中に描かれていることを否定することなく、そういう将来が来るのかなという余韻を持たせたまま、2章につなげている。

 この本の優れている点は、現代の若い世代にとっても非常に興味深い映画の話題から話を起こして、読者の興味を引きつけたまま、コンピュータの進化(2章)、人体とコンピュータとのインターフェイス(3章)、人工知能(4章)、技術的特異点後の世界(5章)、失業社会の到来(6章)というように、コンピュータと未来の姿を、科学的な知識を元にして議論の展開をしており、一般市民のみならず、情報の専門家にとっても、これを読むことによってホットな情報の世界を整理して理解することができるようになっている点であろう。5章では、人類の未来を4つのシナリオで描いている。1つめは人間がコンピュータによって支配されるというもの、2つめは巨大化したコンピュータの中に人間は肉体を失って入り込むというもの、3つめは著者が(そして、たいていの人が)理想と考える、人間は肉体が存続し、コンピュータが人間の知能を増強するというもの、4つめは何も起こらないというものである。我々は、コンピュータとの関わりを考えるときほぼ無条件に3つめを想像し、明るい未来を描くが、これを著者は「明るい寝たきり生活」と呼んでいる。私は、3つめと4つめの中間あたりが一番いいと感じるが、そこで果たして止まるのかどうか・・・。この本を読むと、そうでもないと思ってしまう。6章は、ローマクラブの「成長の限界」の話から始まり、人類の将来について、今まで人類が考えてきたものや著者の予測する未来の姿が描かれており、人工知能の開発が鍵を握るようでもあるが、著者も、コンピュータの世界から少し目を外に向けたときに、人類の未来を描くことは困難と感じているようにも思われる。

 以上のように、コンピュータを中心にした世界を考えるとき非常に示唆に富む本であり、現代に生きるものとして、一読をお勧めしたい。

2015年1月10日土曜日

石黒浩「どうすれば「人」を創れるか アンドロイドになった私」、新潮文庫

人そっくりのアンドロイドを作って話題になっている石黒先生の著書。いままで断片的にしかしらなかった、彼自身を含む一連のアンドロイドの制作動機、作ってみての感想や他人の反応、そのもともとの人の感想、また、経年変化でアンドロイドと本人との乖離についての考察など、大変興味深い話が盛りだくさんである。
アンドロイドを使って遠隔から人と対話したりする話は非常に興味深い。平均的な人が美しく見え、つまり、美人とは個性のない姿だという話はかなりショッキングな話であった。

誰から見ても美人というのは厳然として存在する。単なる流行りではない(流行り的な美人もあるが)。美人というのは、物理的な身体から来るものであると今まで思っていた。動作の機能に優れ、不都合がなくて成長した四肢、そうしたものをすべて併せ持つのが美人であると思っていた。

石黒先生の本に書かれているように、平均顔だから誰でもそう感じるというのは初めて聞く説だが、なるほどと、納得できる。美人論というのは面白そうだ。

2015年1月7日水曜日

江上剛「50歳からの教養力」、ベスト新書

著者は、もと銀行員で、脱サラをし、49歳で作家になった人である。
第1部は「知力」。作家として必要な知力をどのようにして蓄えたか、書かれている。
第2部は「体力」。もともとメタボで走ることなど思いもよらなかった著者がフルマラソンをすることになった経緯が書かれている。
第3部は「胆力」。このあたり、まさにご自分の経験談である。
第4部は「ユーモア力」。
第5部は「取捨選択力」。
要するに、著者の教養がどのようにあるかを示した本と言える。かなりの自信家でもあると思われる。

2015年1月5日月曜日

森政弘「ロボット考学と人間 -未来のためのロボット工学-」、Ohmsha

森政弘氏といえば、ロボットの先生。それも、理論ではなく、ロボコンを始めた、実践の先生としてよく知られています。ロボットと言えば、機械の話か、知能の話が語られることが多いですが、一般に、ロボットにまつわる知能の話には、底の浅い話が多いように感じられます(そればかりとは言いませんが)。しかし、森先生は仏教に結びついた、哲学的な考察をこの本でなされています。

自分の手で、それこそロボットを作ってきた著者だからこその、自然と人間から学ぶ(ロボットの設計思想)という第1章、仏教に造詣が深い著者だからこそできる(ロボットから考える、人間というもの)、ロボットの哲学の第2章、第3章はさらに哲学的なロボットの世界(ロボット独自の発展を考察する)、第4章は、善悪を見極めながらロボットとの共生に関して、設計への警告(幸せとは何か)、第5章はロボコンに学ぶ(「技道」の哲学)、第6章は、著者の本領発揮とも言える、ロボット工学者へ(創造的な研究のために)という章立てです。

私の研究室では、ロボットを擬人化して、感情を表現する研究を行っています。単に、技術だけ考えるのではなく、一見、無意味にも思えるこうした研究が意味をもつのかどうか、もつとしたらどういうことなのか、少し現実から離れて哲学的思考をすることが必要です。

2015年1月4日日曜日

本田幸夫「ロボット革命 -なぜグーグルとアマゾンが投資するのか-」、祥伝社

日本のロボット技術は、スタートはいいけども、それからあとの成長戦略がなく、結局、アメリカなどに大きく水をあけられているということがよくわかる。
著者は、大工大の先生なのだが、日本電装や松下電器産業を経ての現職で、さらに、現在もアルボットという会社の代表取締役なので、現実の状況に詳しい。
日本でロボットの開発をしようとすると、いろいろな法律が邪魔をして、本当に実験室でしか試すことができない。ごく一部、たとえば、つくばなどで特区を作ってはいるが、それとて大きな制約。それに比べて、アメリカのなんと自由なことか。日本で自動運転車など、アメリカに勝てるはずがないということがこの本を読むとよくわかる。

否定的な論調で統一されている本ではないが、この本を読むと、なにか、残念な気持ちばかりが湧いてきた。

2014年8月10日日曜日

阿川佐和子「叱られる力 聞く力2」、文春新書



タイトルから明らかなように、大ヒットした前著「聞く力」の二匹目のどじょうを狙ったものらしい。
2~3時間で読み切った。前著ほどの説得力は、ない。残念ながら。本書を通して最も頻繁に出てくるのは阿川さんのお父様、つまり、阿川弘之さんであり、著者からすると、かなり怖い存在のようなのである。佐和子さんはお父様とケンカをするつもりはないが、古い古い価値観で何かにつけて干渉してこられる。そこで叱られるのである。叱られても、真っ正面から対決をしたりはしない。そこが賢い、そして優しい佐和子さんなんだろう。

本書は上手な叱られ方ばかり書かれた本かと思ったがそうでもなく、半分は、叱り方について書かれている。特に、現代の若い世代の人たちのしかり方がいろいろ書かれており、私も参考になった。叱り方、叱られ方だけでなく、人付き合いの本だと思ったらよい。

最も参考になったのは、「叱り方の極意」として書かれている「か、り、て、き、た、ね、こ」。「か」は、「感情的にならない」。「り」は「理由を話す」。あとは、本書を読まれたし。

2014年7月11日金曜日

香山リカ「ソーシャルメディアの何が気持ち悪いのか」、朝日新書


ツイッター、FacebookLINE…隆盛を極めているが、皆が楽しんで使っているのか?どうも、いろいろな問題がある。著者は、SNSが使えないような古くさい人ではないし、実際、多くの使用経験も持つ。だからこそ、こうしたシステムに対して、真正面から議論を挑むことができるのだろう。

1章では、SNSにおいて、24時間、いつも自分をさらけ出すものだと思っているために生まれる問題点を筆者は強く指摘しているようである。分娩台にいるときの様子や、夫婦の間のことなど、それを、目の前にいる自分に臆面もなくさらけ出されることの不快感、顔が見えないことによる、出会い系での性別詐称、ブログでは嘘を書くことが許されないと自己規制するあまり、リッチな自分をブログで演出するために多大な出費をする人、これらをSNS疲れと呼んでいる。

2章では、ネット上で人は傷つけ合うことを例示している。このことは、多くの人が経験しているだろう。さらに、自分で自分をだますということがおこるということを指摘している。そこには、匿名性が潜んでいる。

3章はネトウヨについて論じている。4章はプチ正義感。普段はいい加減な人たちまでが、ネット上では、えらく正義感あふれた、ご立派なご仁になられる。これによって、どれだけ窮屈な社会になっているか。

5章ではネット・スマホ依存を明確に病気として位置づけている。6章はSNSが日本をどうかえるのかということを、現在の政治を引き合いに出して論じている。
全体的に、極めてSNSに対して否定的な論調であり、厭世的でもある。解決していく糸口も見えない問題の山を目の前にして、それだけはいやだと言っているように見えるが、あきらめているように見える。

読み進めていくと、私は著者とほぼ同世代のせいか、ほとんどの部分に納得でき、精神科医である著者に教えられる面も多い。要するに、大変勉強になったという感じが強いが、明るい未来は見えない。

2014年2月23日日曜日

キャサリン・サンソム「東京に暮らす」、岩波文庫

先に読んだ、藤原正彦氏の「名著講義」で紹介してあった本である。そうでもない限り、こういう古い本を読むことはあまりない。
この本の筆者は、1928年~1936年、外交官でご主人になるジョージ・サンソム氏と日本にやってきて、その直後日本で結婚し、8年間日本で暮らしたときのあれこれが書かれている。

日本は昭和初期であり、私もあまり知らない時代であり、その頃の日本人の様子がよくわかる。どうかというと、日本人の性格を驚くほどよく捉えている。もっとも、ごく最近の日本人は少々違う。私の知っている、昭和の時代の日本人そのものである。
その当時から、日本人はイギリス人の筆者にはとても親切だったようであり、この本を読み進めていくと、同じ日本人として、うれしくなるような感覚だった。いわゆる、「おもてなし」精神は当時も(というか、当時は今以上に)あったようである。
もちろん、今ほど経済的に豊かではないが、それでも、精神的には当時の日本人が非常に豊かであったことを知ることができる。

筆者は日本の風呂が好きだったようで、 日本では混浴が当たり前だったことに驚きと関心を持ったようである。白人がその当時に混浴の風呂に入ったら、どういう視線があったか、想像に難くないが、不快な思いはされなかったようで、西洋人の想像できない日本人の風呂文化があったと思われる(今は混浴は少ないが、そういうところでは昔も今も変わりないだろう)。

戦前に、イギリス人がこのように、日本を体験していたことは、私の想像を超えるものがあった。どうしても、今の日本をその時代に重ねて考えてしまうが、政治的なものは抜きにして、人と人、文化の視点で外国人を直視することの大切さを知った。

2014年2月16日日曜日

福澤諭吉著齋藤孝編訳「福翁自伝」、ちくま新書



 私は最近少々古い本に凝っている。この本は諭吉が晩年、半生を振り返ってかなり自由な感じで書いた本である。現代語訳になっているので、すらすら読める。訳者の齋藤孝氏も、この本は「学問のすすめ」と一緒に読むことを勧めている。私も以前、学問のすすめはまさに齋藤孝氏の訳で読んだ。学問のすすめも意外に面白いと感じたが、福翁自伝は福澤諭吉の人間性があふれていて、なかなか興味深い。
 福澤諭吉と言えば慶應義塾大学の創立者として有名であるが(1万円札といったほうがもっとぴんと来るか?)、江戸時代末期に咸臨丸に乗り込んでサンフランシスコに行ったときの話が面白い。ペリーが浦賀に来てから10年後に日本から大挙してアメリカに視察に行ったことは、アメリカ人から驚きを持って迎えられたそうである。非常に歓待されたとも言っている。まだ英語を使いこなせる日本人が少なかったこの時代、オランダ語に訳して理解していたというから面白い。アメリカのホテルは、おそらく今のホテルとあまり変わらないと思うが(もちろん違う部分があるだろうが、日本の当時の旅籠と今のビジネスホテルのような違いはきっとないに違いない)、刀を差してホテルの中を歩いている姿を想像することは面白い。当時、まともに辞書もなく、コピー機もない時代にどうやって外国語を理解したか、非常に興味深い。
 福澤は、咸臨丸に乗る前に、大阪の緒方洪庵の塾に入って医学の勉強をしている。そこでしのぎを削って勉強した様子が面白い。まさに、歴史ドラマの中に出てくる世界である。当時、勉強しようとしたらまず本を写すことから始めたことが、改めてわかる。本もなく、丁寧に手取り足取り教えてもらえるわけではない。他の人の目を盗んで勉強するのである。人間の勉学への意欲は、勉学の環境とはほぼ無関係、いや、負の相関があるようにも思える。彼のごく近辺で、腸チフスやコレラなどの病気でなくなる人も多数あったようで、ほんの一昔前まではこういう世界の中で人間は生きていたのだということが改めてわかる。
 福澤は大の酒好きだったようだ。博打や女郎屋には近寄らない。いつも、冷静沈着ながら、いろいろなことに興味を持って、大きく生きていた様子が、この自伝から伝わってくる。

2014年2月10日月曜日

藤原正彦「名著講義」,文藝春秋

言わずと知れたお茶の水の先生の単行本.出版されたのは2009年末だから,4年前の出版だが,いままでほとんど読まずに積んでいたのを,このほど取り出して読んでみた.

毎週文庫本を1冊ずつ課題に出し,読んできたその本について,教授と学生の間でいろいろとディスカッションをするというゼミの様子を本にしたものである.今で言う「反転学習」の先駆的なものか.

本は,古き時代の日本を紹介し,日本人とは何か,日本人とはこんなにすばらしい民族だということを誇示するような本が並んでいる.挙げてみると,
武士道
余は如何にして基督信徒となりし乎
学問のすすめ
新版 きけ わだつみのこえ
逝きし世の面影
武家の女性
代表人日本人
山びこ学校
忘れられた日本人
東京に暮らす
福翁自伝
若き数学者のアメリカから郷愁へ
となっている.最後のものは藤原氏自身の本である.
昔の日本人が書いたものを直接読むということは,語り部の話を聞くようで,大変心にしみる.日本人の特性で,我々が忘れている特質を思い出させてくれ,それがまた自信につながるような仕組みとなっている.当時の外国人から見た日本・日本人のものも含まれており,日本人がいかにすばらしい人々なのかを教えてくれる.

この本を読んで,学生がしっかりと予習をしてきているからできるということ,また,その本の主張にご自身の主張を重ね合わせて学生にしっかりと日本人教育をしているところに感動を覚えた.

2014年1月22日水曜日

辻野晃一郎「グーグルで必要なことは、みんなソニーが教えてくれた」、新潮文庫



著者は慶応の修士課程を出た後ソニーに入社するが、22年間勤務後退社し、退社後1年の値にグーグルに入社、その約2年後にグーグル日本法人の社長になるが、1年余りで別会社を立ち上げた人であり、本書はその人の自伝である。
ソニーへはあこがれの気持ち一杯に入社したが、それは井深大と盛田昭夫へのあこがれだったようで、入社時の盛田社長の訓示にあった「人生の大切な時期を過ごす場であるソニーが皆さんにふさわしくないと思えば、時間の無駄だからすぐに去ってほしい」という言葉を覚えていたらしい。私など、入社式の光景をまったく覚えておらず、このあたりから辻野氏と私との違いを感じさせる。その言葉は、実際に著者がソニーを辞める時に影響していたという。22年間は長い。当然いろいろな体験があっただろう。ソニーでのさまざまな経験談が語られており、我々が製品に接してきたVAIO開発の裏事情がよくわかる。多くの不満も述べられているが、会社から留学させてもらったり、社内でいろいろなプロジェクトを担当させてもらったりと、決して干されていたわけではない。多くのサラリーマンから見れば、贅沢な悩みに映るだろう。
その著者が、同社内で鬱積した不満がついに爆発して、飛び出してハローワークに通ったということだが、その後の経歴を見ると、この著者にとってはあまり特別な行動ではなかったようである。
ハローワーク通いもつかの間、ヘッドハンティングの会社からグーグルへの興味の打診があり、同社の入社試験を受けている。同社の採用基準が記載されているが、学生諸君にも興味があるだろうから書いておくと、地頭(じあたま)の良さ、これまでの職務実績と社会貢献、リーダーシップ、グーグリネス(グーグルに合うかどうか)の4つだったそうである。グーグルは大学よりももっと自由なところと述べられている。今のグーグルを見ると、とてつもなく先進的な会社なのだろうと思ってしまうが、当時、ソニーは後追いしていたわけではなかった。いま海外企業が成功している事業の多くのものをソニーの中では自社内で手がけてきたことを紹介しており、ソニーはいろいろな先進的な目を持っていたことがわかる。このあたりの体験が本書のタイトルにつながっているのだろう。また、辞めても消えないソニーへの愛着が垣間見える。
そのグーグルさえもやめて、自分で会社を興している。まだいろいろな挑戦が続くのだろう。今後の辻野氏が何をしていくのか、興味は尽きない。

2014年1月11日土曜日

阿川佐和子「阿川佐和子のこの人に会いたい9」、文春文庫

例の対談をまとめた本である。
今回は、次のような人の対談が載っている(全員ではない)。
糸井重里
稲盛和夫
三浦友和
高橋恵子
内田裕也
伊集院静
李登輝
・・・
どんな人とも、興味深く対談をなさるところがすばらしい。稲盛和夫氏は、JALを再建したことを中心にお話されている。稲盛氏が、いかにすごい人か、この対談からひしひしと伝わってくる。短期間であっても、しっかりとJALの中の人作りをされていることがわかる。対談の中で阿川さんが言っているように、もっとお若かったら、是非東京電力の再建をしていただきたいものである。
李登輝氏。今の日本の置かれている立場をどのように捉えたらよいか微妙なところが多々あるが、李登輝氏は、日本の良いところをしっかりとPRしていただいている。阿川氏が心地よく対談をされた感じがしっかり伝わってくる。伊集院氏の女性観。内田氏のやんちゃぶり。

前回の時には、あまり感じなかったが、阿川佐和子さんは、対談がお上手なのだと今回つくづく思った。対談中のツーショットが全部の方の中に載せられているが、相手を立て、いずれも好感を得るようなスマイルで写っておられる。

2013年11月16日土曜日

芦田宏直「努力する人間になってはいけない 学校と仕事と社会の新人論」、ロゼッタストーン

この著者の記事が11月12日の朝日新聞のオピニオンに載った。それは、「脱点数主義の罠」という、入試などでの人物本位の評価を否定し、点数主義に徹するのが良いという、ある意味、衝撃的な内容のものであった。人物評価の面接では、「数人の面接官による限られた時間の面接で判断できますか。面接官の好みが前面に出るだけです」と言っている。さらに、「勉強が人間をつくるという面を見ようとしていない。勉強嫌いの人たちが集まっているのでは、と勘ぐりたくなります」と、手厳しい。しかし、言われてみると、確かにそうだ。私の少ない経験でも、面接で高評価だった学生が、入学後すばらしいかというと、むしろ逆の印象の方が強い。
前置きが長くなった。そこで、ともかくこの人の本を読んで見なければ、と思い、早速注文して読み始めた。
 なにせ、500ページ近くある分厚い本であり、さらに、流し読みで理解できるようなものではないので、読むのに時間がかかる。章立ては次の通り。
1.努力する人間になってはいけない -これから社会人になるあなたたちへ
2. かけ算の思考 割り算の思考 -これから勉強を始めるあなたたちへ
3.就職活動への檄20箇条 -大きな企業が有利な本当の理由
4.読書とは何か -本を読める人はわからないことを恐れない人
5.家族は社会の基本単位ではない -家族の社会性と反社会性について
6.なぜ人を殺してはいけないのか  -愛の自由と出生の受動性
7.学校教育の意味とは何か -中曽根臨教審思想から遠く離れて
8.キャリア教育の諸問題について -学校教育におけるキャリア教育とは何か
9.ツイッター微分論 -機能主義批判と新人論と
10.追悼・吉本隆明 -機能主義悲観としての言語の像概念
 内容についての私の意見は、後日書くことがあるだろう。